パッサージュ・ポムレはノエルの雰囲気がすでにありました。写真は3階へ登る階段から撮りました。
フランスでの20週間の滞在もあと3日となってしまった11月27日、最後に行ってみたい地方都市は、と考えてみましたが、かつてのブルターニュ公国の首都でもあり、西のパリとも言われ、中世には華やかな宮廷文化に彩られた町、ナントの勅令、でも知られていて、私の好きなロワール川沿いの歴史都市ナントに行こう、と朝7時30分、パリを発つTGVのチケットを予約しました。
9月中旬にパリからロワールの古城ショーモン・シュル・ロワール城を訪ねたときには明るかった朝7時前のパリでしたが、11月ともなると暗くて、夜行電車に乗るような気分でした。時間通りに発車して窓から見えるのは薄暗くてしかも霧がたちこめていたため、これからどこにいくのかしら、と思いつつ、乗り心地の良い座席でうとうととし、目がさめたらすでにロワール地方を列車は走っておりましたが、どんよりと雲がたちこめた空はかつてトウールに居た時毎日眺めていた明るさはなく、ステイ先のマダム、フランソワーズが話してくれた冬の天候を思い出させました。ナント駅に着いた時は小雨もふっており、寒さがこたえましたが、駅の出口を出てトラム(路面電車)の走っている大通りに出て少し歩くと、いかめしい石つくりのブルターニュ大公城が視界に姿を現し、フランボワイヤン様式による石つくりの歴史的建造物とすぐにわかり、ああ、ここだ、と初めて訪れた場所なのに、すでに見た風景のように感じました。お城は今はナントの歴史を展示している博物館となっていて、この周辺には大聖堂、美術館、古い門、と見所が多く、どこにいこうか、と迷いましたが、まずは大聖堂へ足を運びました。大聖堂のそばの広場には、アンヌ・ド・ブルターニュの銅像が建っており、碑文には良き女大公、とあり、ああ、ここはやはり彼女ゆかりの地なのだ、と思い、大聖堂に入ると、ブルターニュ特産の白い石で壁がつくられているせいか、それまでに訪れた大聖堂とは違う明るさに驚きました。説明によると、1972年の火災で大部分が被害を受け、塔やステンドグラスなど再建されたとのことで、そのせいか、壁の下部と上部は色が違うようでした。
この大聖堂には、ブルターニュ大公国が全盛を極めた時の大公フランソワ2世とその妻(アンヌ・ド・ブルターニュの両親)の墓があります。ルネッサンス彫刻の傑作といわれているそのすばらしい装飾をみていると、以前、パリのサンドニバジリカ大聖堂のフランソワ1世とその妻でありアンヌの娘クロードの墓の彫刻(これより壮大でした)を思い出しました。ただ一人の跡取り娘が14歳では、親は心配だったのか、どれとも、一国の跡取りとして育てたのだから、あとはまかせるしかなかったのか、と並んで横たわっている2人をみてあれこれ想像しておりました。通路に沿って歩き、ステンド・グラス、彫刻、小さなチャペルなどを見学し、ろうそくをともし、大聖堂のまわりを歩きました。正面には観光案内所があると(地球の歩き方)には記事があったので、そこに行くつもりだったのですが、移転したのか閉鎖されたのか、銀行の支店しか見つけられず、仕方が無い、旧市街にある案内所に行こう、と思い、次のお目当てであるブルターニュ大公城へ向かいました。いかめしい石つくりの城壁で囲まれている中世のお城で、アンジェ城を思い出させました。かつてはすぐそばにロワール川が流れていたのも納得できます。跳ね橋を渡ったとき、今は整備されてきれいな庭園(出入り自由で散策できます)となっているかつては水をたたえた堀を見下ろして、このお城を陥落させるのは難しいだろうな、と想像しました。お城に入ってここで1477年、アンヌ・ド・ブルターニュが生まれた、という碑文を発見して、ついにずっと後ろ姿しか見えなかった彼女が振り向いたような気になりました。
今は歴史博物館となっていて、ナントの歴史をたどれます。また、ここは宗教の信仰の自由を認めた(ナントの勅令)が調印された場所でもあります。今は移転しましたが、フランスの大手ビスケット・メーカーLUはこの町の代表的な工場で、ビスケットの抜き型、ローラー、当時作られていたビスケットまで展示されていました。LUのビスケットは庶民的な製品で駅の売店、いつも買い物をしている大手スーパー、モノプリその他のスーパーでもみつけられますし、京都三条の明治屋スーパーでも買えます。
美術館ではジョルジュ・ラ・トウールの3点の絵画をはじめ、素晴らしいコレクションに目を見張りました。しかし、その時点ですでに残り時間は3時間を切ってしまい、お目当てのケーキ屋さんを探すことは困難と思われ、では、旧市街へ移動し、そこにある3階建てのパッサージュだけでも訪ねよう、とトラムに乗りました。窓からみるとブルターニュ大公城の芸術様式、それはロワール古城でしばしばみられたフランボワイヤン様式で、王妃アンヌがすごしたアンボワーズ城であちこちにみられた様式を思い出させ、ああ、ここはやはりアンヌゆかりの地なのだ、とやっと足跡をたどれた感慨がありました。
トラムを降りたらお目当てのパッサージュまではわかりやすい、と地図をみてましたが、クリスマス・マーケットが軒を連ねている広場は混雑していて、目印になる建物を見つけられず、うろうろ歩いているうちに迷ってしまいました。品の良さそうなマダムに尋ねたところ、すぐ近くまで案内してくれました。ここフランスではこのような親切な方にはしばしば出会うことがあります。たどり着いたパッサージュ・ポムレはヨーロッパでも珍しい3階建てで。エスカレーターも途中までですが設置されています。クリスマス・シーズンとあって、明るく華やかな装飾が施されていて、入り口に立って見上げているだけでわくわくとしてしまいました。ふと左をみると、マカロンのディスプレイされたショウ・ウインドーがあり、MOFシェフのお店でした。ショコラとビスケットを売るお店でしたが、ミニサイズのクイニー・アマン、マカロンがおいしそうに整列して私を出迎えてくれているようにみえて、マカロンを100g買ってみました。値段設定は100g4・5ユーロ、とパリの一流ブテイックの半額近くで、驚きましたが、口当たりが柔らかく、とても美味しいマカロンでした。ガル二チュールはパート・ダマンドをベースにしたものばかりで今まで口にしたマカロンとはここが違いましたが、バランスのよい味で、気にいりました。ショコラは残念ながら、ボンボンではなく、ロッシェのようなごろごろしたごついもので、結局買いませんでした。
パッサージュ3階まで上り、そこにあった出口は旧市街まで行ける通りで、石畳の道を歩いていたら、サロン・ド・テのあるケーキ屋さんに出会いました。覗いてみたらなかなか美味しそうなケーキが並んでいて、ボンボン・オ・ショコラもきれいでおいしそうに見えたので、ここでなにか食べてみよう、と入りました。見慣れない商品を発見し、マダムに聞いたところ、ガトー・ナント、というスペシャリテ、と教えてもらい、それとコーヒーを注文しました。小さなマンケ型で焼かれたアーモンドスポンジケーキを土台に、ラムシロップをふりかけ、アプリコットジャムをうすく塗ってから上面のみホワイトチョコでコーテイングしてある素朴なケーキでしたが、ラムはあまりきつく感じなかったし、おいしいな、とあじわいました。コーヒーにはガトー・オペラのプテイ・フールが」添えられていたのも嬉しいことでした。(美味しかったです)
最後にここでショコラを買おうかとボンボンを物色していたら、このお店は老舗のショコラテイエが運営しているパティスリー、サロン・ド・テである、とマダムに教えてもらい、本店も近い、と知ったので、急ぎました。重いドアを開けてみればそこは重厚な雰囲気の歴史的建造物で、19世紀の貴婦人になった気分でした。スペシャリテ、といわれたショコラ(マスケロン・ド・ナント、フイヤンテーヌの入ったプラリネ風味のセンターにミルクチョコでコーテイング)を買いました。翌々日にクラスメートだったジャステインと会う約束があるので、彼へのおみやげにしました。
パリへ戻るためのTGV発車までは15分しか時間がなく、トラムがこなかったら走っていこうか、とも思いましたが、幸いにもすぐに乗ることができて、ナント駅には発車5分前に着きました。2日前に尋ねたブルターニュ地方の町、レンヌには、アンヌ・ド・ブルターニュの足跡を探すことは出来ませんでしたが、1477年にここナントで生まれ、14歳で両親を失い、フランス国王と結婚してアンボワーズへと移り住んだアンヌはおそらくレンヌを訪れることもなかった、だからなにもなかったのでは、と考えました。アンヌの伝記はアンボワーズ城、アンジェ城でも見つけてはいましたが、結局買わなかったのですが、あれを読めるくらいにはフランス語学習を続けていきたいな、といつになるのかわかりませんが、目標を定めました。
最近のコメント