その6、ダ・ヴィンチの絵画

 Dscf2619 フランス、パリのルーブル博物館にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画(聖アンナ)です。(このブログ画面は写真の向きを変えることは残念ながらできません)

フランス・ルーブル美術館のコレクションは全て鑑賞するとしたら1年かかるといわれていますがその中でもフランスの至宝ともいえるコレクションといえばまずあげられるのは、モナ・リザ(マダム・ジョコンダ)ではないでしょうか。

 ダ・ヴィンチは1516年にときのフランス国王フランソワ1世に招かれてフランスにやってきますがそのときに3枚の絵画も一緒でした。その1枚がモナ・リザで、その死後に王様は買い上げて自らのコレクションにしました。このあまりにも有名な絵画についてはここでさらにふれることはできません。今回のフランス滞在中にルーブルにも行ってきましたが、私がその後姿を追いかけているフランス王妃アンヌ・ド・ブルターニュ(1477-1513)の新たな史実を発見しました。

 ダ・ヴィンチが持参した3枚のうちのもう一枚は(聖アンナ)で、聖母マリアのお母様のアンナ、娘であるマリア、孫の幼いイエスの描かれているものですが、この絵画の横にその由来などがかかれているのを何気なくみた時、そこにアンヌ・ド・ブルターニュの名を見つけました。多くの観光客が通りながら鑑賞している横でさっと読んでみたのですが、フランス国王ルイ12世がその妻アンヌ・ド・ブルターニュの栄誉のために依頼し、1500年ごろから製作開始された、とあり、所有権でミラノ公国と争われたような記述もみられ、結局は問題なくダ・ヴィンチはフランスに持っていくことが出来た、とありました。日本でゆっくり読んでみようか、とその説明を書き取ったのですが、関連書籍もひろげつつ解明に努めていますが、まだ出来そうにありません。

 アンナ(ANNE)はフランスではアンヌ、と発音される女性に多い名前ですが、同名の王妃を称えるために離婚暦あり15歳年上夫があれこれ気を遣っていたのかな、と勝手に想像してしまいました。ちなみにこの二人の間は娘を2人授かったもののついに世継ぎの王子は生まれませんでした。

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その5、パスカル・ピノさんのケーキ

Dscf2684 モンジユ広場のすぐ近く、モンジュ通りに面して建っているパスカル・ピノさんのお店も私のお気に入りです。

 ここ5区には有名なパン屋さん数軒の他、ケーキ屋さんも数軒ありますが、カールシェフのお店とそしてこのパスカル・ピノさんのお店が光っている、他とは違う、と思っています。このお店はケーキだけでなく、ショコラ、コンフィズリー、グラス(アイスクリーム)、パン屋さんと幅広くやっています。昨年、12週間学んだベルエ校で行われていた、MOFシェフ、G・パリス先生の製パンの授業でお手伝いをされていたのがお店の主、パスカル・ピノさんで、大きな目が印象的な、ムッシュー・親父と思える懐の広さ、おおらかさ、あったかさを感じさせる方でした。奥様は日本の方でけいこさん、と聞いています。厨房には日本女性も働いていて(研修生ではない)、ベルエ校から研修生としてやってくる方も多いようです。かつてはコルドン・ブルーで講師をし、その後、お店を構え、奥様、弟さんのジャン・マルクさんと3人で切り盛りしています。まるで宝石のブテイックに入ったように思える、高級感のあるカールシェフのお店とは対照的ですが、店主のお人柄か、ほっとする安らぎが感じられるこのお店に昨年の研修時、クロワッサンやブリオッシュを買って食べるのが毎朝の楽しみでありました。また、マカロン、ショコラも好きです。

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その4、シェフに再会しました。

 パリに着いたら、ケーキ屋さん巡りもいいけれど、昨年すんでいた界隈をもう一度歩きたい、通っていた製菓学校(ベルエ・コンセイユ)でジェニファー先生にお会いしたい、パリの知り合いと再会できたら、と会いたい方は少しですがいます。一番再会したかったのは、カールシェフとジャン・ミシェルさん、そしてマキシムでしたが、たかだか2週間しかいなかった仕事があまり出来なかった研修生なんか忘れられているかも、と思いつつもパリ滞在4日目、サロン・ド・ショコラ展開催の前日にささやかな手土産、京都北山マールブランシェの限定販売品抹茶のクリームを挟んだ抹茶ラング・ド・シャ、京都七条甘春堂ゆずせんべいを持って思い切って夕方に訪ねていきました。

 懐かしいメトロ7号線にのっていき、モンジュ広場にほど近い駅をおりて地上にあがると昨年見慣れていた賑やかなモンジュ通りが視界一杯にひろがり、教会向かいの道を歩くとすぐにそこだけがぽっと光ってみえるガラス張りで、テラス席がみえる見慣れたブテイックにたどり着きました。数人のお客が店内に入っていくのがみえたのでしばらく外に立っていたら、宣伝マンをやりたくなってしまい、立ち止まってお店の中をみている人にあれこれ話たくなる気分でした。手にケーキの入った箱を提げて外にでてきたお客さん達は皆にこにことしていて、予約をしたのかメモを手にしている人もいました・ケーキとは幸せとペアなのだな、と納得し、懐かしいガラスのドアを押して入った店内は少々変化はあるものの1年前と同じ香りがし、ジャン・ミシェルさんがにこやかに出迎えてくれたのも同じでした。ああ、忘れられていたらどうしようか、と悩んだのは杞憂で、ムッシュー・コパンは憶えていて挨拶をしてくれました。シェフはあいにくとその日は不在でした。サロン・ド・ショコラ前日の10月13日ですが、藤野真紀子さんが紹介し、日本でもすっかり有名な老舗ボワシエのカクテルパーテイにてカール・マルレッティのケーキをプレゼンテーションする仕事があって出ている、と説明されました。(私の聞き取り違いでなければそうです)セカンドとしてシェフのもとで製造担当していたマキシムはすでに転職していました。本の執筆もする予定だそうです。お店には日本女性の研修生が2名、見習いの若い男性が1名、マキシムにかわってセカンドとして勤務している方、とスタッフは増えていて、繁盛ぶりがうかがえました。

 シェフのことが載っている出版物(日本語です)は数冊おいてありました。また、フィガロスコープという雑誌でのタルト・オ・シトロンのランキングで堂々1位となった記事もショーケースの上に置いてありました。なんでもその記事がでてからしばらくはタルト・オ・シトロンが連日とぶように売れたそうです。(日本もフランスもあまり変わらないようです)

 シェフにやっとお会いできたのはその2日後でした。その日は大聖堂が有名なアミアンを訪ね、銘菓アミアンのマカロンを買い、先日にサロン・ド・ショコラ展で入手したル・ルーのキャラメルも持って夕方に再びお店に行きました。その日はジャン・ミシェルさんはいなくて若い女性が接客をしていました。そのひとにあれこれと話かけていたら帽子をかぶった黒いシェフ・コートを着ているシェフがやってきました。嬉しいことにはシェフも私のことは忘れてはいませんでした。お話も出来たし、持って行った昨年出版された柴田書店(カフェ・スイート)のパリ案内にある、ジャーナリスト伊藤文さんの書かれたシェフの紹介ページにサインをしていただきました。いつか、シェフをパリの師匠、といえるようになれたら、と思いつつ、幸せな気分でお店をあとにしました。

 

 

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その3、パリのお菓子屋さん

 昨年、柴田書店の月刊誌(カフェ・スイート)で最新のパリ案内の特集記事が大変気に入り、今年も同じ企画があればなあ、と期待していたら、9月に発行された102号にパリのお店ガイドがあり、昨年と同じく伊藤文さんの記事が多くのせられていたのが嬉しく、2冊ともスーツケースにしまっての今回のパリ滞在となりました。

 行きの飛行機の中で雑誌フィガロジャポンがあり、パリのケーキ屋さんの特集があったので読んでみたら、ここにも伊藤文さんの担当された記事を多く読むことが出来ましたが、一番嬉しかったのはカールシェフのお店がのっていたことでした。すぐにまぶたにうかぶのはシェフとジャン・ミシェルさん、マキシムの働く姿と厨房、シェフのスペシャリテのひとつ、ミルフォイユで、宝石のように美しかったケーキ達は今も心の中で輝き続けています。

 写真を眺めていると、日本にはない感性が感じられますが、これは国民性なのかセンスの違いなのか分かりませんが、ああ、なんて美味しそうで美しい、とため息がでました。

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その2、スリ被害にあってしまいました。

 昨年、滞在中に遭遇したトラブルはキャッシュカードをATM機に飲み込まれてしまったことくらいですが、今回のパリ滞在中、スリに財布を盗られました。

 ついつい気が緩んだというよりは急ぐあまり隙をみせてしまったのですが、パリ北駅から地下鉄に乗り換える時の事でした。カルネが自動改札でひっかかってしまい、窓口で交換してもらった時についでにカルネを買い足そう、と財布を出しておつりを受け取っていた時、その財布をどこにしまうのかすでに見られていたようで、さあ急ごう、と財布の入ったかばんを肩にかけて自動改札を通過し、すぐにきた地下鉄に乗ろうとしたときになんか軽いなあ、とかばんを覗いてみたらすでに財布は姿を消していました。

 頭は真っ白になってしまい、うろうろとしながらまずはなにを、と持っていたガイドブックを開いてみて、警察に行こう、としてパリの地図で北駅付近を捜していたら、声をかけてきた人がいて、警察を探している、と尋ねたら、東駅にポリスがある、と言われてすぐにそこに行きました。重い扉を開けて、そこに詰めていた警官に状況を説明し、被害届を書いてもらいました。観光客が多いせいか、すでに各国語の用紙は用意されていたのにも驚きました。

 パリの知人にそのことを打ち明けたら、財布がどこにしまわれたのかを見張っているのがいて、改札を通るときに肩に掛けられているかばんからすっととる、という手口は横行している、と聞かされて、ああ、やはり私の不注意だった、と悔やみ、せめて財布だけは返して欲しい、とも思いましたがそれも無理、と悟ったのはその翌日、スリの現場に居合わせた時のことでした。地下鉄を降りたら後ろから女性の叫び声が聞こえて何事かと振り返れば物凄い勢いで若い男が脱兎のごとく走り去っていきました。その後も女性は叫び続け、電車が止まってしまいました。先日のこともあり、なんとかあの女性を手助けできれば、と思いつつ、走り去った男を止めることは怖くて出来ませんでした。スリも命賭けなのだから、こちらに勝ち目はない、隙を作ったこちらにも責任が、ととなんとか自分をなだめています。

 新しい財布はすぐに買い求めました。それをみては私の不注意で異国の見知らぬ人間の手元に永久に拉致されてしまった愛用していた財布を思い出し、戒めにしよう、と思い定めています。

 

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マロニエ並木は黄金色のパリの秋です

 昨年、製菓研修のために15週間暮らしたこのパリの街を一年ぶりに訪れました。今回の目的は10月14日から18日まで開催されるショコラの展覧会、サロン・ド・ショコラですが、再会したい方達、もう一度歩いてみたい私が生活していた周辺を訪れることもそうでした。

 マロニエの実(苦くて食べられない)を蹴りつつ、重なるように落ちている葉を踏みしめあるくと、足元に昨年の感覚がよみがえり、ここは異国なのだ、と思い、まだコートは必要なくても晩秋の服装にショールをまとわないと寒いくらいの気候なのに日焼け止めが必要なくらいのきつさが残る秋の太陽というアンバランスさで、昨年は10月末から11月にかけての開催だったので、あのときはもうコートが必要だったな、焼き栗屋さんはあちこちで見つけられたな、と思い出したりしました。

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帰国後編その7、カール・シェフを思い出します。

 2009年に年が改まり、連休もすぎるとそろそろバレンタイン商戦も注目される時期です。デパートの期間限定チョコレートショップの広告をみては、パリのサロン・ド・ショコラを思い出します。先日買い求めた(料理通信)でもパリでのこのイベントのルポがのっていて、ジャーナリストの方の見方はこうなのか、と大変興味深く読みました。ルポを書かれたパリ在住の伊藤文さんの文章はそうとは知らず以前から読んでいたことに最近になって気が付きました。

 フランス、伝統菓子、パティスリー紹介の第一人者は大森由紀子さん、京都では、パリ、お菓子、といえば小林かなえさんということになるのでしょうか。帰国後、見つけた小林さんの最新の著作にもカール・シェフのお店は紹介されていましたが、本日、みつけたパリ在住のライター加納雪乃さんの本(この方の文章も気に入っています)でもシェフのお店が書かれていました。私はパリの製菓学校においてあった、柴田書店発行(カフェ・スイート)のバックナンバーの最新パリ案内パティスリー紹介記事でシェフのことを知り、そして縁あって研修をさせていただけたのですが、あの2週間は忘れられない素晴らしいものでした。今年中にシェフにお会いできたらいいな、といつも思っています(帰国後、お店の3人、シェフ、ジャン・ミシェルさん、マキシムにクリスマス・カードを送って差し上げました。)もし、どこでもドアがあれば、あのパリ5区のお店をすぐ訪ねていけるのに、そしてもし、この本のことをご存知でなかったら差し上げたい、と思いました。

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その3、メッス、ナンシー

Dscf2041 大聖堂の前広場のお菓子屋さんJEANで食べた(PARIS-METZ)です。マカロンの鮮やかな色にひかれました。

 11月17日は研修中の休日で、パリから少し離れた地方都市に行ってみたい、とその数日前ですが、地球の歩き方をひろげてみて、目に入ったのはドイツ寄りの地方都市で僅か1/4ページ分の記事しかない、簡単な地図さえ載せられていないメッスでした。古い町で大聖堂もある、とあり、では行こう、と決め、そこまでいくのなら、ナンシーにも、と、帰り道にパッシー通りにあるSNCFブテイックでTGV のチケットを予約しました。11月16日は朝7時からお店に行き、午後1時までいましたが(日曜日はお店は午後2時に閉まります)、連日大忙しのマキシムはお休みで、(前日の夜でしたが、彼はクロカンブッシェを製作してました) シェフとジャン・ミシェルが忙しく働いておられ、私はシェフの横で少しは作業をさせていただけました。私でも少しは力になれたのなら嬉しいことです。お店の前の通りでは古物市が立っていて、そのせいかお客さんが多いように思いました。シェフは週末は特別なお菓子をお店に並べておられますが、この週はエクレアで、仕上げにマーブルチョコレートのようなものをエクレア表面につけたり、パッション・フルーツのクリームを詰めて黄色いフォンダンをかけたエクレアが登場しました。私はエクレアにクリームを詰めていきましたが、シェフがひとつを見て(これにはクリームが充分詰まっていないよ)と、いわれたらその通りでした。

アール・ヌーボーの都、として知られ、数々の銘菓があり、(領主として君臨したスタ二スラス・レクチンスキーが美食を好んだことも大きい)ナンシーは是非行きたいところであったので10月に既に訪れていました。駅前にナンシー銘菓やロレーヌ地方の食器メーカー、ルュネヴィルの製品を扱っていて、サロン・ド・テもあるお店を発見してベルガモット風味のマドレーヌ、ロレーヌの特産品西洋スモモ・ミラベルの砂糖漬け、スタニスラスの名のついたショコラのお菓子を買い求め、アール・ヌーボー建築の店内での食事や喫茶が楽しめるブラッスリーでコーヒーで一休み、ルレ・デセールの本でも紹介されている、ANDRE THIEBAUTシェフのお店で美しいケーキ達に出迎えられ、味わってみてその美味しさとパリでは考えられない値段の安さに驚き、ここのスペシャリテ、といわれたパテ・ド・ロレーヌ(白ワイン、スパイスに漬けた豚肉をパート・フィユタージュではさんで焼いたもの)をも食べました。市役所のある建物・オテル・ド・ヴィル、アントワネットがフランスに興し入れした時に宿泊し、今はデラックスなホテルとなっている館、美術館、オペラ劇場に囲まれているきらびやかなスタニスラス広場は花が咲き見事な彫刻で飾られた噴水に目を見張り、美術館ではガラス工芸品のコレクションそれはガレやドームといった有名作家の製作した作品ではありませんでしたが、これだけの作品を生み出したのがここナンシーなのだな、と感動し、学芸員のマダムにはこの美術館の歴史とあわせてナンシーの歴史まで丁寧に教えていただき、内部が公開されていたオテル・ド・ヴィル見学では豪華な建築に見とれ、大聖堂も見学し、カリエール広場を歩いた時、両側の並木はすでに葉が黄色く(枯れていたのか)なっていて、すでに秋の気配を感じていました。あれから1ヶ月以上たてばもう冬で、すっかり町も空気も色が変わっているだろうな、と思いつつ、でも、もう一度あの町を訪ねたい、と2度目のナンシー行きを決めました。

 パリ東駅から朝7時台のTGVに乗り、まだ薄暗くて車窓からはなにも見えず、うとうとしているうちにすでにアンジェ駅を過ぎ、メッツの駅で降りたときには太陽は輝いていましたが冬の弱い光で、駅前の広場にはクリスマス・ツリーが飾りつけ途中で、同じフランスでもまるで風景、空気は異なり、異国にやってきたようで、ここはドイツの影響が色濃い、と駅前のケーキ屋さんのドイツ語表記されている商品をみて思いました。クグロフも見つけました大聖堂のある町の中心部までは、商店街を通るバスで行きましたが、どこも華やかで明るく、皆で待っている楽しいイベント期間なのだ、と感じ、24日の一日がすべてであるかのようなイベントの日本でのクリスマスの楽しみ方とは違うと思いました。大聖堂は想像していたより古びて黒く、改修、補修のための足場に囲まれているようで、内部も足場が立てられてその下を歩いていると工事現場に来た様でヘルメットが必要かなとさえ思いました。ここにもシャルトルにあった黒いマリア様を思い出させる聖母子像があり、シャガールのステンドグラスは太陽の光を背に神秘的な輝きをみせていました。大聖堂の向かいの建物の一階にはケーキ屋さんがあり、メッス特産のミラベルを使ったジャム、キャラメル、ドロップ、パート。フリュイが売られていました。ケーキはなにかあるかしら、と覗いていたら、お馴染みの商品のなかに、とてもカラフルなものをみつけました。お店のドアにもカラー写真つきの広告で紹介されている、アルルカンというマカロンを用いたパティスリーでした。ルレ・デセールの会員シェフのお店はあるのですがあいにく定休日なので、ここでお茶を飲もう、と決めました。 この町には3時間しか滞在出来ないので、次の目的である、ジャン・コクトーのデザインによるステンドグラスのあるサン・マキシマン教会へと急ぎました。平日なのにあまり活気を感じられない商店が両側に並んでいる(殆ど閉まっていました。定休日なのでしょうか)石畳の道を早足で歩きたどり着いて、もし入場できなかったら、と思いつつそっと重い木の扉を押したりひいたりしたら、音があまりたたずに開きました。だれもいなくて、静まり返った教会はステンドグラスを通って入ってくる光であたたかな雰囲気があり、ゆっくりしたくなりましたが、それは出来ず、せめてお目当てのステンドグラスを一枚ずつ見学いたしました。

 再び大聖堂のある広場に戻り、先ほどみつけたケーキ屋さんであのケーキとコーヒーを味わいました。価格はサロン・ド・テでは4ユーロでパリよりは安い設定に思いました。カラフルな2枚のマカロンにはバナナ風味のクリームとフランボワーズがはさまれていました。クリームはやや固いようで、でも口どけ、風味はよく、後をひくおいしさで、フランボワーズとの取り合わせがいいな、と思いました。メッス名物ミラベルジャムを買いました。

 バスに乗って駅に戻ると電車の発車時間まですぐでした。後ろ髪を引かれる思いで、次はもっと時間に余裕を持ってこの町を歩きたい、下調べをしてから、再訪問したい、そばまで行けたけど散歩できなかったモーゼル川沿いの遊歩道を歴史散策したい、ケーキ屋さんを探したい、とあれこれ思いつつ電車で40分の次の目的地ナンシーへ向かいました。

 2度目のナンシー訪問でしたが、残念なことにはアール・ヌーボー作品を展示しているナンシー派美術館は閉まっていて、今回も見学できませんでした。月曜日はお休みのケーキ屋さんが多いのですが、前回、心残りがあった焼き菓子、ヴィジタンディーヌをついに買えました。このお菓子はアーモンド粉、、卵白、焦がしバターを用い、フィナンシエとよく似ていますが、長方形の型(金の延べ棒を思わせる)で焼かれるフィナンシェに対し、花のような丸い独特のヴィジタンディーヌ型で焼かれます。(大森由紀子さんの本で紹介されていますが、楕円の焼き型でも作られるそうです)

 スタ二スラス広場にある、かつてマリー・アントワネットオーストリアからの花嫁道中で宿泊し、今はデラックスホテルとなっている、グランドテル・ド・ラ・レーヌのサロン・ド・テに入りました。マリー・アントワネットの白い胸像が階段の踊り場に飾られていて、バラの芳しい香りが漂う上品なホテルで、トイレットにはバラの生花が生けられていました。

Dscf2045 大きなカットのミラベルのタルト、ドイツで食べたフルーツの焼きこまれたリンゴタルトを思い出しました。

 サロン・ド・テのケーキはタルトが2種類で、アプリコット、ミラベル、でした。ドイツでみかける大きくカットされているタルトそのものを思わせ、ここはフランスでもかつては独立した公国だったのだ、と考え、名物ミラベルがたっぷりのったタルトを味わいました。しかし、メッスよりはフランスの香りを感じ、ドイツの影響は強くはないようにも思いました。マドレーヌにベルガモット風味の商品があるなんて知りませんでしたが、あいにくと私の好みの香りではなかったのが残念でした。前回のナンシー訪問ではルュネヴィルのお皿は買ったのですが、今回はついに私を呼ぶテイーカップに出会いました。やや大きいカップには今までみたことが無いデザインのバラやチューリップといった花が描かれていて、これでお茶を飲みたい、マドレーヌを添えてみたい、と思いました。高価な商品でなかったのも購入の決め手になりました。

 帰りのTGVまでは約1時間の残り時間は散策に費やしました。

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帰国後編、その6、マドレーヌとフィナンシェ

 小林かなえさんの著作のタイトルに(マドレーヌを焼きにパリへ)とありますが、私はフランスから帰ると、シェル型のマドレーヌ・コメルシーが焼きたくなります。まだ、パリに住んでいたときに、オーブンもないのにケーキが焼きたい、という思いにかられ、小麦粉とカソナードシュガーを買いました。帰宅後、えーっと、これで何ができるだろうか、と考えてみてではクレープでも、と目分量で生地をつくり(香りつけはクレマンテイーヌの表皮をこそげて加えました)電気コンロの扱いに手を焼きつつ出来上がったクレープはなかなか美味しく、1週間の昼食のパンの代わりとなりました。

 その小麦粉もカソナードも持ち帰り、折角フランスの小麦粉があるのだから、とまずマドレーヌを焼き、フィナンシェも焼きました。

 フィナンシェはいろいろなレシピがあり、味もお店ごとに違いますが、私は5年前、初めてベルエ校で学んだときのレシピが一番美味しい、と思い、定番としています。

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その4-3、最後はナントへ行きました。

Dscf2104 パッサージュ・ポムレはノエルの雰囲気がすでにありました。写真は3階へ登る階段から撮りました。

フランスでの20週間の滞在もあと3日となってしまった11月27日、最後に行ってみたい地方都市は、と考えてみましたが、かつてのブルターニュ公国の首都でもあり、西のパリとも言われ、中世には華やかな宮廷文化に彩られた町、ナントの勅令、でも知られていて、私の好きなロワール川沿いの歴史都市ナントに行こう、と朝7時30分、パリを発つTGVのチケットを予約しました。

 9月中旬にパリからロワールの古城ショーモン・シュル・ロワール城を訪ねたときには明るかった朝7時前のパリでしたが、11月ともなると暗くて、夜行電車に乗るような気分でした。時間通りに発車して窓から見えるのは薄暗くてしかも霧がたちこめていたため、これからどこにいくのかしら、と思いつつ、乗り心地の良い座席でうとうととし、目がさめたらすでにロワール地方を列車は走っておりましたが、どんよりと雲がたちこめた空はかつてトウールに居た時毎日眺めていた明るさはなく、ステイ先のマダム、フランソワーズが話してくれた冬の天候を思い出させました。ナント駅に着いた時は小雨もふっており、寒さがこたえましたが、駅の出口を出てトラム(路面電車)の走っている大通りに出て少し歩くと、いかめしい石つくりのブルターニュ大公城が視界に姿を現し、フランボワイヤン様式による石つくりの歴史的建造物とすぐにわかり、ああ、ここだ、と初めて訪れた場所なのに、すでに見た風景のように感じました。お城は今はナントの歴史を展示している博物館となっていて、この周辺には大聖堂、美術館、古い門、と見所が多く、どこにいこうか、と迷いましたが、まずは大聖堂へ足を運びました。大聖堂のそばの広場には、アンヌ・ド・ブルターニュの銅像が建っており、碑文には良き女大公、とあり、ああ、ここはやはり彼女ゆかりの地なのだ、と思い、大聖堂に入ると、ブルターニュ特産の白い石で壁がつくられているせいか、それまでに訪れた大聖堂とは違う明るさに驚きました。説明によると、1972年の火災で大部分が被害を受け、塔やステンドグラスなど再建されたとのことで、そのせいか、壁の下部と上部は色が違うようでした。

 この大聖堂には、ブルターニュ大公国が全盛を極めた時の大公フランソワ2世とその妻(アンヌ・ド・ブルターニュの両親)の墓があります。ルネッサンス彫刻の傑作といわれているそのすばらしい装飾をみていると、以前、パリのサンドニバジリカ大聖堂のフランソワ1世とその妻でありアンヌの娘クロードの墓の彫刻(これより壮大でした)を思い出しました。ただ一人の跡取り娘が14歳では、親は心配だったのか、どれとも、一国の跡取りとして育てたのだから、あとはまかせるしかなかったのか、と並んで横たわっている2人をみてあれこれ想像しておりました。通路に沿って歩き、ステンド・グラス、彫刻、小さなチャペルなどを見学し、ろうそくをともし、大聖堂のまわりを歩きました。正面には観光案内所があると(地球の歩き方)には記事があったので、そこに行くつもりだったのですが、移転したのか閉鎖されたのか、銀行の支店しか見つけられず、仕方が無い、旧市街にある案内所に行こう、と思い、次のお目当てであるブルターニュ大公城へ向かいました。いかめしい石つくりの城壁で囲まれている中世のお城で、アンジェ城を思い出させました。かつてはすぐそばにロワール川が流れていたのも納得できます。跳ね橋を渡ったとき、今は整備されてきれいな庭園(出入り自由で散策できます)となっているかつては水をたたえた堀を見下ろして、このお城を陥落させるのは難しいだろうな、と想像しました。お城に入ってここで1477年、アンヌ・ド・ブルターニュが生まれた、という碑文を発見して、ついにずっと後ろ姿しか見えなかった彼女が振り向いたような気になりました。

 今は歴史博物館となっていて、ナントの歴史をたどれます。また、ここは宗教の信仰の自由を認めた(ナントの勅令)が調印された場所でもあります。今は移転しましたが、フランスの大手ビスケット・メーカーLUはこの町の代表的な工場で、ビスケットの抜き型、ローラー、当時作られていたビスケットまで展示されていました。LUのビスケットは庶民的な製品で駅の売店、いつも買い物をしている大手スーパー、モノプリその他のスーパーでもみつけられますし、京都三条の明治屋スーパーでも買えます。

 美術館ではジョルジュ・ラ・トウールの3点の絵画をはじめ、素晴らしいコレクションに目を見張りました。しかし、その時点ですでに残り時間は3時間を切ってしまい、お目当てのケーキ屋さんを探すことは困難と思われ、では、旧市街へ移動し、そこにある3階建てのパッサージュだけでも訪ねよう、とトラムに乗りました。窓からみるとブルターニュ大公城の芸術様式、それはロワール古城でしばしばみられたフランボワイヤン様式で、王妃アンヌがすごしたアンボワーズ城であちこちにみられた様式を思い出させ、ああ、ここはやはりアンヌゆかりの地なのだ、とやっと足跡をたどれた感慨がありました。

 トラムを降りたらお目当てのパッサージュまではわかりやすい、と地図をみてましたが、クリスマス・マーケットが軒を連ねている広場は混雑していて、目印になる建物を見つけられず、うろうろ歩いているうちに迷ってしまいました。品の良さそうなマダムに尋ねたところ、すぐ近くまで案内してくれました。ここフランスではこのような親切な方にはしばしば出会うことがあります。たどり着いたパッサージュ・ポムレはヨーロッパでも珍しい3階建てで。エスカレーターも途中までですが設置されています。クリスマス・シーズンとあって、明るく華やかな装飾が施されていて、入り口に立って見上げているだけでわくわくとしてしまいました。ふと左をみると、マカロンのディスプレイされたショウ・ウインドーがあり、MOFシェフのお店でした。ショコラとビスケットを売るお店でしたが、ミニサイズのクイニー・アマン、マカロンがおいしそうに整列して私を出迎えてくれているようにみえて、マカロンを100g買ってみました。値段設定は100g4・5ユーロ、とパリの一流ブテイックの半額近くで、驚きましたが、口当たりが柔らかく、とても美味しいマカロンでした。ガル二チュールはパート・ダマンドをベースにしたものばかりで今まで口にしたマカロンとはここが違いましたが、バランスのよい味で、気にいりました。ショコラは残念ながら、ボンボンではなく、ロッシェのようなごろごろしたごついもので、結局買いませんでした。

 パッサージュ3階まで上り、そこにあった出口は旧市街まで行ける通りで、石畳の道を歩いていたら、サロン・ド・テのあるケーキ屋さんに出会いました。覗いてみたらなかなか美味しそうなケーキが並んでいて、ボンボン・オ・ショコラもきれいでおいしそうに見えたので、ここでなにか食べてみよう、と入りました。見慣れない商品を発見し、マダムに聞いたところ、ガトー・ナント、というスペシャリテ、と教えてもらい、それとコーヒーを注文しました。小さなマンケ型で焼かれたアーモンドスポンジケーキを土台に、ラムシロップをふりかけ、アプリコットジャムをうすく塗ってから上面のみホワイトチョコでコーテイングしてある素朴なケーキでしたが、ラムはあまりきつく感じなかったし、おいしいな、とあじわいました。コーヒーにはガトー・オペラのプテイ・フールが」添えられていたのも嬉しいことでした。(美味しかったです)

 最後にここでショコラを買おうかとボンボンを物色していたら、このお店は老舗のショコラテイエが運営しているパティスリー、サロン・ド・テである、とマダムに教えてもらい、本店も近い、と知ったので、急ぎました。重いドアを開けてみればそこは重厚な雰囲気の歴史的建造物で、19世紀の貴婦人になった気分でした。スペシャリテ、といわれたショコラ(マスケロン・ド・ナント、フイヤンテーヌの入ったプラリネ風味のセンターにミルクチョコでコーテイング)を買いました。翌々日にクラスメートだったジャステインと会う約束があるので、彼へのおみやげにしました。

 パリへ戻るためのTGV発車までは15分しか時間がなく、トラムがこなかったら走っていこうか、とも思いましたが、幸いにもすぐに乗ることができて、ナント駅には発車5分前に着きました。2日前に尋ねたブルターニュ地方の町、レンヌには、アンヌ・ド・ブルターニュの足跡を探すことは出来ませんでしたが、1477年にここナントで生まれ、14歳で両親を失い、フランス国王と結婚してアンボワーズへと移り住んだアンヌはおそらくレンヌを訪れることもなかった、だからなにもなかったのでは、と考えました。アンヌの伝記はアンボワーズ城、アンジェ城でも見つけてはいましたが、結局買わなかったのですが、あれを読めるくらいにはフランス語学習を続けていきたいな、といつになるのかわかりませんが、目標を定めました。

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